| 目次 | ページ | |
|---|---|---|
| 平成27年度予算について | 2〜5 | ![]() |
| 議会だより・奈良知事選挙・奈良県議会議員選挙結果 | 6~11 | |
| みんなの広場 入学式・入園式、活動日誌 ほか |
12 | |
| 今月の情報・人事異動 ほか | 13~18 | |
| 生涯学習教室のお知らせ ほか | 19~20 |

掲載日付:2015年4月20日
掲載日付:2015年4月1日
平成27年3月27日、天理市役所において定住自立圏形成協定締結のため並河天理市長、竹村川西町長、志野三宅町長、窪田山添村長の1市2町1村の首長と各市町村議会議長並びに副議長が集まり合同で調印式を行いました。
この協定により、中心市(天理市)と近隣市町村(山添村)が地域の特性を活かした魅力ある圏域づくりをめざして、本年9月をめどに定住自立圏共生ビジョンを策定し、地域住民の命とくらしを守り、安心して暮らせる施策を展開します。
また、この施策を展開するため国から特別地方交付税(上限1,500万円)を受けることができます。

定住自立圏とは一定の要件を満たす「中心市」と「近隣市町村」が相互に役割を分担し連携・協力するため1対1の協定を締結し、圏域全体で必要な生活機能を確保し、地方圏への人口定住を促進する自治体間連携の取り組みです。 平成21年度から総務省が全国的に展開している取り組みの一つで、奈良県では、天理市が唯一「中心市」の要件を満たしており、最初の取り組みとなります。 |
総務課 TEL 0743-85-0041
掲載日付:2015年3月24日
山添村のコミュニティバスと福祉バスについてのご案内をはじめました。 時刻表や運行日、お知らせにて新着情報などを掲載しています。
(※メインメニューの「山添村の紹介」からもご覧いただけます。)
総務課 TEL 0743-85-0041
掲載日付:2015年3月20日
掲載日付:2015年2月21日
掲載日付:2015年1月2日
掲載日付:2014年12月21日
掲載日付:2014年11月26日
【天狗山のてんぐ】
毛原と勝原、切幡の境する所に天狗山がある。毛原の背後で一番高く、頂上には大きい岩石があって、昔から天狗が住んでいると言われてきた。
子どもが親の言うことを聞かなかった時、「そんな事しとったら天狗山のてんぐさんがやって来て、山へ連れていかれるぞ。それ聞こえるやろ。て
んぐさんが太鼓をたたいている音や。」その時、ほんとうに太鼓のたたくような音がしたので、ますますこわくなって、すっかりおとなしいよい子
になるのである。
また、昔から「風」はてんぐの仕業であるとされてきた。子どもたちが凧揚げの時、風がなかったらこう叫んだ。「てんぐさん、てんぐさん、風
吹いておくれ、余ったら返そ。」そうすると不思議に風が出てきて、凧揚げが楽しまれたものである。てんぐは不思議な力の持ち主だったのである。
【天狗山のてんぐさん】
葛尾の西には高塚山が、北には天狗山がそびえる。ここにはてんぐさんがいて、神野山のてんぐや、茶臼山のてんぐと争ったと伝えられる。
※天狗山は片平、遅瀬にもあり、それぞれの天狗伝承がある。
里うたに「てんぐさん、てんぐさん、風吹いておくれ。余ったらかえそ」というのがある。
【天狗杉と榧の木】
神野山の中腹に天狗杉があって、天狗さんが住んでいる。助命村宝蔵寺境内には榧の大木があった。天狗さんは退屈になると助命の榧の木に飛んで
来て、寺の僧とお話しされた。その時には天狗さんが神野寺のお坊さんに「今は助命の榧の木に来ているから安心せよ」と霊感で伝えられたそうである。
助命の榧の木は伐られて今はない。天狗杉は次第に大きく茂り、天狗さんはその枝に宿って村内の安泰を見守っておられるという。
掲載日付:2014年11月21日
掲載日付:2014年11月1日
【鬼ヶ塚とお宮さん】
下津の家並みを過ぎた所から、遅瀬に向かう峠までをオニガツカと言う。その下の川にはオニ岩と言う巨石がある。下津の氏神は吉備津神社であるが、祭神吉備津彦命は古い昔、四道将軍の一人として吉備の国(岡山県)を攻め、吉備冠者「ウラ」と激しい戦いの上征服された。このことが桃太郎伝説となるが、岡山の吉備津神社と同じ祭神の上、オニガツカやオニ岩など同じ名がつけられていておもしろい。近くにはおばあさんが苧をつむいでいたと言う苧紡ぎ岩もある。同神社には古くから太鼓が奉納されていて、村に異変がある時は真夜中に太鼓の音が響くと言われている。
【烏ヶ淵の石地蔵】
桐山の「烏ヶ淵」の中に大きな岩があって、そこに石地蔵を切り付けてある。そのいわれと言うのは、豊臣秀吉が大阪城を築くとき、城の石垣に全国から巨岩、大石を寄せ集めた。この時、石地蔵は除くという但し書きがあった。烏ヶ淵の地蔵さんはこの時彫ったもので、大石を大阪まで運ぶ労役を免がれるためであったと言われる。