8月15日 山添村戦没者追悼式

8月15日 3年ぶりに山添村戦没者追悼式を開催しました。

山添村戦没者追悼式・式辞

本日ここに、戦没者のご遺族、並びにご来賓の皆さまのご参列をいただき、山添村戦没者追悼式を執り行うにあたり、村民を代表して式辞を述べさせて頂きます。
令和2年より猛威を振るい全世界を恐怖で震撼させた新型コロナウイルス感染症。世界中で多くの方々が亡くなり、その病状に多くの感染者が苦しみ、今尚、終息することなく世の中を混乱の渦に巻き込んでおります。
わが村も例外ではなく、日常生活や各種行事に多種多様の制限を伴いながらの日々を送っております。この様な中、多くの方々の御理解と御協力により規模を縮小してではありますが、3年ぶりに、ここ、ふるさとセンターに於いて戦没者追悼式を挙行できますこと、心より感謝を申し上げますとともに御英霊に追悼の誠を捧げます。
先の大戦から、早77年目の夏を迎えました。
この大戦におきまして尊い命を国のために捧げられた英霊の皆様は、祖国の平和と発展をひたすら願い、また、まだ見ぬ我が子、生まれたばかりの乳飲み子、更に、最愛の家族を残し、唯々家族の安泰を念じながら、戦地に赴き、戦場に倒れた方、あるいは戦後、異郷の地に残され、飢えや病に倒れ、祖国に帰ることがかなわなかった方々です。その方々の思いに馳せるとき、尽きることのない苦しみ、無念、そして、悲しみが胸にこみ上げてまいります。
また、ご遺族の皆さまには、最愛のご家族、一家の大黒柱を失われ筆舌に尽くしがたい悲しみやご苦労に耐えながら、立派にご子弟を育て、家を守り、郷土発展のために力強く生き抜いてこられたこと、またそのご苦労、ご努力に対し、深甚なる敬意を表します。
戦後に生まれた世代が大半を占め、戦争の体験と記憶の風化が危惧されている中、私たちは、この悲惨な戦争が実在したことを、英霊の皆さまへの想いと共に、深く心に焼き付け、今を生きる私たちの使命として子々孫々に、しっかり伝えていかなければなりません。
実は、私の祖父・父、共に戦争体験者です。特に、父は、終戦時中国に出兵していました。二等兵としての戦争体験、銃撃体験、隣の兵舎が爆撃で吹っ飛んだこと、引き上げ船のこと、いろいろと話を聞きました。もし、その爆弾が隣の兵舎に落ちていれば、今の私は、存在しなかったかもしれません。しかし、その父は、復員し民主主義で平和な日本を体験することができました。その体験もできず、遺骨さへ戻ることのできなかった方々の功績で、今の日本、平和で豊かな日本が存在していることを私たちは、忘れてはなりません。
旧豊原中学校に、先の戦争の資料が展示されています。大和高原文化の会のみなさんが作られた非常に細かな資料です。是非、みなさん、ご覧になってください。出来れば、子どもたちを連れ、訪れてください。戦争の体験と記憶を風化させない場所の一つだと思います。
また、戦争や戦時の暮らしを体験された方々は、なかなか、難しいかもしれませんが、その体験を周りの方々に伝えてください。難しいことでしょうが、伝承のカギは、そこにもあると考えます。
さて、私たちを取り巻く国際情勢に目を向けますと、ロシアによるウクライナ侵攻が大きな問題となっています。国際法上、また人道的にも許されない行為が一人の意志によって開始され、多くの命が奪われ、食料やエネルギー危機を招いています。それ以外でも世界中では、アフガニスタンやシリア、リビアなど紛争の続いている国も多くあります。そしてその中で、一番犠牲となっているのが、子どもや女性です。全人類が平和で安心して暮らせるよう私たちにできることを考え、具体的に取り組むことが急務だと考えます。
私は、昨年の9月にこの職に就かせていただき「和合結束」をスローガンに、笑顔あふれる元気な村を作る使命を頂きました。
今、こうして村政を進展させることができるのは、英霊の皆様の尊い犠牲の上に、私たちが享受している平和と繁栄があるからだということを片時たりとも忘れず、引き続き「元気で、夢や生き甲斐が持て、安心して暮らせる村づくり」をめざし、村民、議会、行政が和合結束し、邁進していく所存でございます。
ここに、今一度、謹んで英霊の皆様のご冥福をお祈りいたしますと共に、ご遺族の皆さまのご多幸を心からお祈りし、式辞といたします。

令和4年8月15日
山添村長  野 村 栄 作