鍋倉渓の親の顔

大和と伊賀の国境近くに神野山があります。そんなに高くないが、こんもりとした松と、つつじがいっぱいの山で、その山の東北のふもとの所に鍋倉渓があります。

めずらしい谷で、600メートルにわたり、谷いちめん真っ黒い大きな岩がるいるいと重なり合ってつらなっています。その岩の下には、かなりの水が川になり、石にぶつかっていて、水の音は聞こえますが、水はちっとも見えません。伏流水なのです。ところが、その真ん中どころにある平べったい石に腹ばって下をのぞくと、きれいな水が流れていて、じっと見つめると、死んだ親の顔がはっきり見られるというのです。それも正直な人だけに見えるのだと言われます。どうしてそんな伝えが起こったのでしょうか。

nabekuradaninooyanokaoむかし、この近くの村に、年寄りの父親と、若い息子が住んでいました。
家が貧しかったので、若い男は山しごとや畑しごとにやとわれたり、奈良の町へ使い走りを頼まれたりしてくらしていました。まじめで、正直で、うらおもてがなくよく働いたので、村人の受けもよく、とくに奈良の町への使い走りをよく頼まれました。
はやくて、まちがいがなく、相手の手紙や荷物をとどけてくれると、頼み手はよろこんで、駄ちんをはずんでくれたそうな。
そんな時、若い男は、奈良の店やのおいしいものを買ってきて、自分は食べず「おっ父、腹いっぱい食べや」と言って食べさせるのでした。

親せきはなく、身寄りといえば父親ひとりきりのせいもあるが、とてもやさしく、父親を大事にして、夜は足をもんだりしていました。
「すまんのう」と言う親に、
「なに言うとんね、おっ父、元気になぁ」と言うのでした。
村人たちは「今どきめずらしい親孝行で、感心な男や」とほめていました。

ところがある時、その大事な父親が風邪で寝込んでしまい、目に見えて弱ってきたのです。
心配のあまり若い男は、毎日薬を奈良の店で買ってきて、父親に飲ませました。そして鍋倉渓の石の上にすわって、東からあがる月をおがみ「おっ父の病気をなおして下さいませ」とお祈りをするのでした。
しかし、その甲斐もなく父親は、はかなく死んでしまいました。
若い男のなげきは大変なものでした。村人たちは見かねて「もう年やから、あきらめるよりほかない」と、なぐさめましたが、死んだ父親を思い出すとじっとしていられず、そのたびごとに鍋倉渓へやってきては、平べったい石の上にすわって涙ぐんでいました。

ある月の夜、石の上で若い男はたまりかねて、
「おっ父、今、どこで、どないしとるんや、会いたいのう」と大きな声を出しました。そうしたら、すわっていた平べったい石がぐらっとゆらいだのです。思わず石の上に腹ばいになって、何気なく、底に流れる澄みきった水を眺めた男は、突然「おっ父、おっ父よ」とうれしそうに叫んだのです。
なんと、にっこりほほえんだ父親の顔が、水の中にありありと見えたのでした。

これが「鍋倉渓の親の顔」の伝えの始まりです。