その昔、神代の時代に「熯之速日命(ひのはやひのみこと)」という女神が伊勢に住んでおられました。多くの女神の中でもとびぬけて美しい女神であったので、男の神々が恋い慕い、われもわれもとつきまとったのです。
あまり多くの男神に慕われた「ひのはやひのみこと」は、とてもみんなの好意にこたえられないと思い、ひとりこっそりと我が身をかくそうと、伊勢から熊野を通って、吉野の山中に住まいを定められたのでした。
女神を慕う男の神々は、どこまでもあとを追い、探しもとめてはつきまとったのです。思いあまった女神は、さらに北へ進み、大和は神野山の弁天池のほとりにひっそりと住まわれたのでした。
これで安心と思われた女神でしたが、男の神々の思いはおさまらず、われもわれもと女神を追い求めて神野山めがけてかけつけました。
たまりかねた女神は、その目をのがれようと一匹のオロチになられたのです。
女神を慕って、山また山を越えて来た男の神々の目の前に横たわる一匹のオロチ。これがあの美しい「ひのはやひの女神」とは、さすがの神々も思いもよらず、「おのれ行く手を邪魔するにっくきオロチめ」と、それぞれの剣をもってしとめてしまいました。するとオロチは、見る見るうちに美しい女神の傷ついた姿にかわり、弁天池の澄んだ水の中にその身を横たえたのでありました。
男の神々は、その痛ましい姿を見て涙の涸れるまで泣き明かしました。そして我が恋が実らず、その思いが女神をこんな姿にしてしまったことを悔い、なげき悲しみつつ、神野山山頂に女神の墓を造り、お祀りしたのでした。山頂の王塚にはこんな悲しい話が秘められているのです。
そしてまた、山一面に咲く紅つつじは、清らかな女神の色であるとも言われています。