十一面観音様

kakkou広代の氏神、菅原神社の境内に観音堂があり、十一面観音様をお祀りしています。この観音様は江戸のころ、大久保一太郎さんのご先祖様がお武家さんで、江戸から持ち帰って念持仏として拝み、後大字の仏様となって今日に及んでいます。

毎年、旧の8月17日が縁日となっていて、この日は観音会式として厨子のご開帳をされますが、この日と、お正月の「オコナイ」の日の年2回のほかは開けてはいけないことになっています。
等身大に近い立派な観音様は、拝むとねがいごとが叶うと言われ、代々村人が大事にし、深い信心をしています。

大久保さんはご先祖から,「この観音様は“白子(三重県白子町)の観音様”と生まれが同じらしい」と聞いておられ、そのことを確かめたくて、平成3年1月私たち(大久保一太郎氏と筆者、与力の奥中弘氏)は車で白子に行きました。

方々で十一面観音を探しましたが「白子では十一面観音は無く、子安観音が有名です」と教えてもらい、その子安観音寺に参詣しました。
広い境内と立派な伽藍で奈良の東大寺にも似た仁王門と、左右に仁王様が安置され、境内にある青銅の大きな灯籠とともに県の文化財でした。左手には「不断桜」と呼ぶ国の天然記念物もありました。

お堂の中で住職さんから話を聞きました。縁日は広代と同じく8月17日、ご開帳は8月10日の夜11時から1時間だけの秘仏で、御利益もたいへん大きいそうです。
1200年の昔、白子の海岸に鼓の音がして、この観音様が海の上を漁師の網にのってお越しなされたが、それ以来、この白子海岸を“鼓ヶ浦”と名付けて現在に至っているとのことでした。

全国の観音様の縁日は、たいてい8月18日なのに、広代とここは8月17日だということで、縁の深いものを感じました。

その後の3月、広代の老人クラブ32人が“白子観音”にお参りさせていただきました。真言宗の三重県支所長の住職様の話を聞いておりますと、みんな口々に「広代の観音様をもっともっと大切にせんならんなあ」と言い交わしたのでした。

広代の十一面観音様は平安後期の作。光背と厨子は徳川中期であるとされ、村文化財にもなっていますが、私(筆者)はその昔、白子の観音様と同じ仏師によって生まれたのではないかと考えています。