超古代文明「イワクラ」

                                       資料提供:山添村いわくら文化研究会
 山添村の歴史は古く、今から12,000年前にさかのぼることができる。桐山和田遺跡、北野ウチカタビロ遺跡、上津大片苅遺跡(縄文草創期)や、鵜山遺跡、大川遺跡(縄文早期)に生きた人々の生活・文化は、どのようなものだったのだろうか。
 「縄文文化」は、土器や狩りというイメージが強いが、もっと高度な文明があったとは考えられないだろうか。古代の信仰や呪術・祭祀に関わる遺跡・遺物の調査研究から、全国各地でその痕跡となる「イワクラ」が発見されており、ここ山添村にも、そのイワクラが数多くあることが解ってきている。鍋倉渓をはじめとするイワクラは、何のために造られ私たちに何を伝えようとしているのか。古代の人々が、光輝く太陽や夏の夜空にきらめく天の川をながめ、何を祈ったのか。


 
「イワクラ」について


ー山添村イワクラ紹介ー

 神野山「夏の大三角形」
 ギリシャ神話「舟岩」
 巨大石球「長寿岩」 弘法大師「岩屋桝型」






「イワクラ」について
 「イワクラ」とは、「磐座」と書きます。巨石には神が宿るという古代人の信仰により恐れ敬われてきました。その言い伝えが現代にまで語り継がれ、大切な場所、あるいは恐れ多い場所として人が容易に踏み込まないようにされてきました。そのいくつかは、神社等のご神体として今日まで大切に守られてきていますが、忘れ去られ、放置された磐座もたくさん存在します。
 古代、神は全ての植物や動物、山や川、あるいは岩石など、あらゆる自然の事物に宿るというアニミズム信仰でした。その中でも、特に美しい円錐型をした山は神そのものとして、また山中にある巨石は神々が降臨してくる場所として敬われてきました。そして、時代が進むにつれ、太陽の復活と再生を願う祈りの場や自分達の子孫の繁栄や生活の節目を区切るための祈りなど、様々な祈りの場が必要となってきました。そのための祈りの場を信仰の中心である「神体山」の中やその周辺、あるいは自分達の集落の近くに自然の岩を組み上げ、神の降臨する場所を人工的に造るようになったのが「イワクラ」と呼ばれるものです。
 しかしこれらイワクラは、研究が進むにつれて「必ずしも祈りの場としての役割だけではないのではないか。」というふうに言われてきています。
 例えば、いくつかのイワクラが配列され暦としての役割を持っているものや、大きな川を見下ろす山の頂上部分に巨石が積み上げられていたり、平らな面を持つ巨石が特定の方位を示して置いてあるなど、祈りの場というより、川を航行する人のための標識や、特定の場所を指し示す標識として置かれているのではないかと考えられるものもたくさんあります。また、後世の人類に何かを伝えようとしているかのような「モニュメント」的なイワクラの集団もあります。






神野山「夏の大三角形」
 大字伏拝、大塩

神野山にある王塚、八畳岩、天狗岩が『夏の大三角形』をあらわしている?
鍋倉渓は『天の川』だった?

 鍋倉渓について神野山伝説では、神野山の天狗と青葉山の天狗がけんかをした際、投げつけられた岩が積み重なって出来たという民話はあるが実際どうして出来たのか不明な部分は多い。
 そんな状況の中、鍋倉渓が天の川に似ているのではないかと疑問に思った。それを確かめるため鍋倉渓と周辺の巨石をGPSで計測してみた。そうすると神野山山頂の王塚が白鳥座のデネブ、八畳岩が琴座のベガ(織り姫)、天狗岩がわし座アルタイル(ひこぼし)、そして竜王岩がアンタレスにほぼ重なることが解った。
このことから鍋倉渓周辺は天の川一帯の星座を地上に投影したものではないかという説が導かれてきた。新しい地上投影の星座発見のため今後はその調査範囲を広げ、めえめえ牧場でも実施していく予定。

鍋 倉 渓(天の川)
 山の東北の中腹には、大小の黒々とした岩石がるいるいと重なりあい、幅10m、長さ650m余りにわたって溶岩のながれを思わせる奇勝「鍋倉渓」がある。この黒い岩石は角閃斑糲岩(かくせんはんれいがん)と呼ばれ地形、地質学上、他に類を見ない珍しい景観をなしている。
また、その伏流水は『やまとの水』にも選ばれている。
この状態は、天の川を造るため、もしかすると、何らかの方法で岩が他から持ち込まれた可能性も考えられる。

王 塚(デネブ)
 神野山山頂には王塚と呼ばれる墳丘があり、古墳か古代祭祀跡か、謎を秘めている。
 また、この塚に続く自然林にはタブの木やマテバシイなど亜熱帯系、温帯系、暖帯系に属する珍しい樹木が繁茂している。墳丘は直径約10m高さは0.5〜3mである。周りには石積みが施されている。経度は偶然にも東経136゚00'00"の線上となっていた。山頂に古墳と言うのは珍しいことからこれは古代人が天と交信するために造られた古代祭祀跡と考えるのが一般的である。

八 畳 岩(ベガ)
 憩いの森をぬけてしばらく登ると見るからに壮大な大岩に行き着く。これが神野山唯一の大岩、八畳岩である。高さ7m、幅10m、頂きの広さが八畳、切り立った側面は50畳はある。頂上の亀裂は何かの方向を示している可能性があると考えられる。
八畳岩の前にある獅子形の岩を京都造形芸術大学の渡辺豊和教授はスフィンクスと命名している。また、付近には色々な岩が並び、遠方から見ると実に荘厳美麗、人々の心を引き込む迫力がある。

天 狗 岩(アルタイル)
 神野山頂上近く茂りあった林の中に群れをなして並んでいる岩々、その本体の東面にはペトログラフらしき模様がありこれはこの面の方向に水に関する重要なものが存在することを指し示していると言う説がある。その方向を調べて見るとやはり弁天池が存在していることからかなり信憑性があると考えられる。

竜 王 岩(アンタレス)
 神野山鍋倉渓の中央付近に位置し、さそり座のアンタレスに当たるイワクラと考えられる。現在もご神体として祭られている。
 山添村西波多の吉備津神社から神野山山頂を結ぶ冬至の太陽の日の入りの線上に位置している。






ギリシャ神話「舟岩」
 大字中峰山

舟岩から、アルゴ座は見えたのだろうか?
 中峰山の山中にある舟岩は、長さ10m、幅6m、高さ3mで、その周囲には数多くの岩が配されており、昭和の初めまでは、しめ縄をかけ祭られていた。
全国各地の舟岩の特徴は、船尾が切れ離れて置かれていることであり、中峰山の舟岩も例外でない。これは、意図的に配置されている可能性が高く、南半球の空を飾る巨大な「アルゴ座」を現していると考えられている。
 「アルゴ座」は、ギリシャ神話に出てくる「アルゴー船」のことで、船尾を噛みとられながらも首尾よく事を成し終え、後にその舟は海の神に献じられて「アルゴ座」になったという話である。
「アルゴ座」の中の「カノーブス星」は、名実ともに巨大な星で、実際の光は太陽の4万5千倍とも言われているが、高度が低いためこの星を見た人はあまり多くない。日本では、「カノーブス星を見ると長生きできる」と結構あがめられている。
山添村周辺を支配していたとされる「波多一族」は、海洋民族であると言われており、舟岩は、彼らにとって「神聖な場所」であったに違いない。その時代、舟岩から何が見えたのだろうか!






巨大石球「長寿岩」 大字大西

誰が、何のために、なぜこの場所に?
 今から7年ほど前の1996年、ふるさとセンター造成工事を行っていたところ、地中から巨大な石のボールと、それと同じぐらいの大きさの台座らしき岩が現れた。しかしその当時、誰もがその重要性に気づくことなく、台座のほうは爆破してしまった。しかし、ボール爆破にはあまりにも費用がかかるため中止し、村のシンボルとしてふるさとセンターの前庭に鎮座させることとなった。
 この岩は、大きさもさることながら形が見事な球体をしている。直径7m、推定重量約600tはくだらない。注目すべき点、それは赤道、子午線とおぼしき謎の「十字ベルト」があることである。ちょうど巨大石球をぐるりと取り囲むようにラインが二本描かれ、しかも両者は互いに垂直に交わっており、巨大石球の表面を4等分している。この巨大石球は花崗岩でできており、ラインは石英や長石を成分としたものと考えられ、他の混入物もあってか日に照らされると黄金色にも見える。
 もし巨大石球が惑星を表しているなら、まさに2本のラインは赤道と子午線そのもの。緯度と経度の基準線とも言うべき重要なラインである。
 もう一つ不思議なことに、建物側の側面に3重の円が描かれていることが、ペトログラフの研究者によって確認されている。
 岩尾神社(大字吉田)のご神体岩にも同じような十字模様が描かれている。






弘法大師「岩屋桝型」 大字北野

本当に弘法大師が刻みつけたのだろうか?
 北野牛ヶ峯の地には巨岩大石が累積しておりその中でも巨大な岩、岩屋と桝型(高さ16m)がある。これは一枚の巨石が分裂したもので、上方に屹立した断崖絶壁には桝の形を切り込み(桝型)、転がり落ちた下方には丈六尺の大日如来像を線彫しその下の岩窟をもって岩屋寺としている。
 このイワクラの近くには布目川があり下流には丹生(にゅう)町があることから、次のようなことが推測できる。この下流では鉱物資源である水銀があったのではないだろうか、その場所へ行くための目印(交易ルートの道しるべ)としてこのいわくらを利用していたと考えられる。
【縄文時代、鉱物資源は大変重要なものであった。 ※にゅうとは水銀をさす。】