押し合い橋

国道25号線(旧県道)切幡の村はずれの小川に、押し合い橋(現在は暗渠)があるが、それが両村の境界になっています。昔、三ヶ谷と切幡の境界争いがあって、両村が相談した結果「両村の庄屋さんが、同じ朝“一番どり”が鳴いたら村を出発して、落ち合ったところをさいめん(境界)にしよう」と話がまとまりました。

osiaibasi◎三ヶ谷の伝え

当日、両庄屋さんの出会った所が切幡の神明神社の近くであったそうな。そこはいかにも切幡よりのため、切幡村はもっと三ヶ谷寄りにするように願うが、三ヶ谷村も譲らず、あっちこっちと押し合いの末、最後に決まった小川の橋が「押し合い橋」と名づけられました。
伝承によると、三ヶ谷村は鶏に餌を与えないでその朝を待ち、切幡村の鶏は満腹でその日になったとか。空腹の鶏は餌欲しさに朝早く鳴いたので、村の出発が早かったのだと言われています。

◎切幡の伝え

当日、“一番どり”が鳴いたので、三ヶ谷の庄屋さんが、切幡に向かって来ましたが、いくら歩いても切幡の庄屋さんに出会いません。とうとう切幡の村まで来てしましました。そこへようやく切幡の庄屋さんがねむい目をこすりながらやって来ました。切幡の庄屋さんは、ついうっかり寝過ごしてしまったのです。
「これは大変だ。こんな村の真ん中が境界になると、村の人達から何を言われるかわからない」と、三ヶ谷の庄屋さんに、何とか彼とか言いながら、ようやく村はずれの小川の橋の所まで押し返してしましました。そこで、この地名になったのだとか。