恋の淵(筏のたまりの淵)

大きい名張川と笠間川の合流点、平井亭のうしろの深い淵。あの青々とした深みに悲しい話が今も残っています。

scan川沿いにあった昔の道は、名張のまちから木津へ、そこから北の京都へ通じる道でした。
昔、名張の青年が京都の都へ仕えることになりました。彼には相愛の彼女がいました。いよいよ都へ出発する日が来ました。青年を途中まで送って、二人はここまで来ました。青年は「もう貴方は名張へお帰り。私は一人で行きます」と申したのですが、彼女は突然、彼に身を寄せて来ました。
「いっそこのまま淵へ・・・・・・」と、二人はこの深みに入水したのです。この淵は「恋の淵」と言い伝えられています。

この合流点はまた、東大寺建立の時代、上流の青葉山(板蠅ノ杣という寺領)の太い木を伐って笠間川を流し、この川原で筏に組み、名張川を流して木津で陸揚げし、奈良へ運んだようです。恋の淵はまた、筏のたまり場でした。

筏流しは大正の末まで続いていたようです。若い男女の悲恋と筏流し、この川辺の淵にまつわるお話です。