四辻の六地蔵

scan-3毛原の東出にある「六地蔵」は大変古く、彫り方もすぐれているので、広く世に知られています。

昔、ある日のこと、どこからともなく旅僧がひょっこり現れて、毛原廃寺のそばに立ち止まりました。そして、あたりを見回しながらつぶやきました。
「これはまあ、何という廃れかただろう。それにしてもずいぶんと大きな伽藍跡じゃ。こんな見事なお寺を建てるからには、きっとたくさんの人たちが、長い間言い知れぬ苦労をしたに違いない。そうじゃ、ひとつお地蔵さんを刻んで、その人たちの霊を弔うことにしよう」

旅僧は早速身を清めて、大きな石に向かってお念仏を唱えながら、一晩のうちに六体の地蔵を彫り刻みました。これが今、四辻にある「六地蔵」なのです。

ところでこの場所は、大昔から車の時代に入るまでの長い間、村にとっては一番古くて大事な街道筋でした。そしてこの所は、廃寺の屋敷を避けて東西南北に交差しているので「四辻」の名がついたのでしょう。

さて、六地蔵のある所はたいていお墓の入り口なのですが、ここから墓までは大変離れています。そんなわけで昔ある日のこと、村の若い人があつまって、「六地蔵」をお墓の近くへ移すことにしました。なにぶん大きな一石地蔵なので、力の強い若い衆でさえ大変骨が折れましたが、その日の夕方にはやっとのことで、墓近くまで移すことができました。みんなはへとへとに疲れていましたが「できた、よかった」とはしゃぎながら、夜の更けるのを忘れてお酒を飲みました。

ところがどうしたことでしょう。東の空が白むころ、村中、にわかに変な病気が広がったのです。「これはえらいこっちゃ、なぜやろ」と大さわぎになりました。その時、村の長老が言いました。「皆の衆、よう聞け。これはお地蔵さんをわが等の都合で無理やりに動かした祟りじゃ。早う元の所へ戻さんと、村中一人残らず死んでしまおうぞ。」

「なるほどそのとおりだ。まことに申し訳ないことをした」というので、急いでお地蔵さまを元の四辻へ戻し、それぞれに供え物をして、お地蔵様におわびをしました。

一時はどうなることかと心配した恐ろしい病気も、うそのように無くなりました。それからはお地蔵様を動かしたことはなく、いつも花や水が供えられるようになりました。(村指定文化財)